2010年08月09日

コヘレトの言葉

 旧約聖書の「コヘレトの言葉」(新共同訳)を読んでいた。
 その中でも特に響いたのが、以下の箇所。

 知恵が深まれば悩みも深まり、
 知識が増せば痛みも増す。
(コヘレトの言葉1章18節)

 この書は賢者として名高かったソロモン王が書いたと言われ、古い聖書(口語訳)では「伝道の書」と言われていたもの。

 それにしても驚かされるのは、2000年以上も前に、人は知恵と知識の限界に気づいていたことだ。

 そして1章の2節にある言葉では
「コヘレトは言う。
 なんという空しさ。
 なんという空しさ、すべては空しい」

 この箇所にある「空しさ」という部分のヘブライ語は、形容詞ではなく名詞だ。そのため「空しさ」ではなく「空」というのが正しい訳だと木田献一は(旧約聖書略解)の中で記している。

 ちなみに新改訳の聖書では「コヘレトの言葉」は「伝道者の書」にあたり、
「空の空。伝道者は言う。
 空の空。すべては空」

 となる。

 基本的に新共同訳を日常的に使っているが、しかし、この部分は圧倒的に新改訳の聖書の方がわかりやすいし、言葉が的を得ている。
 コヘレト=ソロモン=賢者が伝えたかったのは「空」とう状態なのだ。

 そして、これこそ、般若心経の「色即是空。空即是色」の心境に近い。
 
 空は無ではない。
 
 ダライ・ラマは「空」を、「すべての関係によって存在する状態」と発言している。
 これは「自己を中から規定するのではなく、外から規定する方法」とダライ・ラマは、ある本のインタビューで付け加えていた。
 つまり、「意志を持つ自己」と内部から自分を規定するのではなく、
 外部から、「友だちに親切を受けた存在」
  「卵焼きの栄養を取った存在」
     「満員電車の中のひとつの原因を作った存在」

  など、自己の周りで起こったことを点描画のように集めることで自己を規定する概念なのだ。

 これは「我思う、ゆえに我あり」と自己を内部から規定したデカルトとはまったく逆の方法による自己の規定方法なのである。
 
 それにしても、それほどの境地にまで、宗教は違っても、賢者たちは入ることに驚かざるを得ない。
posted by momoikazuma at 10:06 | TrackBack(0) | 記事
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