2010年08月31日

インドネシア・マルク「宗教紛争」

 ある雑誌に書いた原稿です。
 先行公開します。

 インドネシア・マルク諸島で、キリスト教徒とイスラム教徒の激しい戦いが始まったのは1999年1月のことだ。マルク諸島の州都であるアンボン島は以降、激しい武力衝突の結果、「軍事境界線」となった道路を隔て、完全に二分された。キリスト教徒はイスラム教徒の土地に、イスラム教徒はキリスト教徒の土地に、一歩でも足を踏み入れることができなくなってしまったのだ。「軍事境界線」とその周辺からはすべての人影が消え、激しく焼け焦げた建物の残骸だけが残されたのである。
 私がこの島を訪れたのは2001年10月のことだ。ニューヨークWTCへの旅客機突入(9・11)に刺激されたのだろう。この時期、一時沈静化していたはずの「宗教紛争」は、再び激しさを取り戻していた。そのため、日暮れ以降、島では鳥や虫の鳴き声をかき消すように銃声が響き渡っていたのである。
「本当に不思議です。1999年に戦いが始まるまでは、イスラム教徒もキリスト教徒も隣り合って生活を続けていたのです」
 そう、口を開いたのは、キリスト教地区に住む中国系のインドネシア人だった。紛争以前の宗教分布図を見ると、確かに少しの偏りはあるものの、村でも街でも、基本的にふたつの異なる宗教を信じる人々は混じり合って生活を続けていた。
 しかし静かに問題が生まれていたのも事実だ。人口の急増が続いたインドネシアでは、1970年代〜90年代まで国内移住政策が強力に推し進められていた。そしてオランダによる植民地政策の影響でキリスト教徒が多く住んでいたマルク諸島にも、この時期、100万人のイスラム教徒が新しい移民となって押し寄せてきたのだ。
 その結果、かつてはキリスト教徒が多数を占めたアンボンも、ふたつの宗教人口が拮抗するようになっていたのである。
 単位面積あたりの人口圧が急激に増えた。それに伴い一人当たりの農作物の収穫量も減少。住民の中には、そのことによる不満がマグマのように溜まり続けていたのである。
 紛争はどのように始まったのか? それを記録した初期映像を現地で見る機会があった。映像の中で、火炎瓶やナタを手にした住人に混じり、軍服を纏い、銃器を持った男たちが扇動するように動き回っていた。素人の住人をリードしながら、プロの武力集団が紛争拡大を煽っていたのだ。
 当時、インドネシアの国政において、軍のプレゼンスが低下していた。「それを食い止めるために、軍が背後で動いていた可能性が高い」。そう現在では、専門家がマルク情勢を分析している。私が見た紛争初期の映像はそれを裏付けていたのである。
 日本には「火に油を注ぐ」という喩えがある。戦争史を分析してみると、民族や宗教、または「権力」(※1)など、一般的に「戦争の原因」とされる要因が、実は「油」であることがわかる。油は油だけでは発火しない。しかし明確な「火」がある場所に注ぎ込めば、火は一気に噴き上がり、多くの人々を焼け焦がすのである。そしてこの場合の「火」とは、土地、食料、資源など、人間の生存に関わる要素に他ならない。
 マルク諸島の場合、土地と食料減少に苦しんでいた住民を、プレゼンス誇示を狙った軍部が利用。作戦遂行過程で「油」として注がれたのが宗教だったのだ。
 だがその結果、どうなったのか?
 イスラム教徒側には、アルカイダに近い熱狂的な集団が外部から援軍義勇兵として、この島になだれ込んだ。一方キリスト教側では、「アガス・キッド」(※2)という名の暗殺部隊が暗躍して、イスラム教徒の殲滅を実行に移した。私はそのどちらにも取材の過程で会うことができた。恐ろしかったのは、どちらの集団も、個々人は透き通るように「きれいな」視線を持っていたこと。「正義」のために自らの命を捧げる覚悟が、澄みきった眼差しに表れていたのだ。
 だが紛争の場合、正義の裏にあるのは悪ではない。異なる正義があるだけなのだ。そして、「正しさ」の意味を熟考しない者は、簡単に、「民族」や「宗教」などを理由に武器を取ってしまうのだ。
 2002年2月、マルク諸島ではふたつの宗教の間で和平が成立した。
 だが紛争の3年間で避難民は50万人に達し、死者は5千人を超えた。
 
※1(「権力」を巡る争いが理由の場合、一般的に、それが強度を増して多くの人々を巻き込んで広がる可能性は低い。人々が生存を追い込まれるだけの「理由」にはならず、広範囲の紛争には発展しないからだ)
  
※2(インドネシア語で「小さな蚊」の意味。または「神が愛した教会の少年たち」のインドネシア語の頭文字)
posted by momoikazuma at 12:32 | TrackBack(0) | 記事
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