2010年09月17日

ラインホールド・ニーバーの言葉

以下が有名な「ニーバーの祈り」だ。

神よ
 変えることができるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

 変えることができないものについては、
 それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

 そして、
 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。

アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの言葉より


 変えることができるもの。
 人が人を殺すこと。戦争、政治・社会システムなど。


 変えることができないもの。
 病気による死、雨が降ること。雷が落ちること。
 
 
 人間は、往々にいして「変えることができるもの」と「変えることができないもの」を間違えてしまう。
 これが社会的なアパシーを生み、また一方で死を怖がる原因なのだろう。

 これらを識別するには、そして、変えることができなことを受け入れるには、やはり人間を越えた視点からの知恵が必要なのだ。
 
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2010年09月14日

菅総理 再任

 民主党の代表選が菅総理の続投が決まった。
 だが、本当に彼で良いのだろうか?

 これまで世界国々で指導者たちを見てきた。国家に軍部があり、文民統制である以上、そのトップとは、殺傷権をも握る立場を意味している。

 当然、その立場に立った者の顔はごく短時間であっても引き締まっていくのだ。
 その変化が写真家としてカメラのファインダーを通すと明らかにわかるのだ。

 菅総理の顔は、先の3ヶ月で引き締まったのか?
 答えは否である。

 イスラム教国のインドネシアには、歴代首相が政局時、最後の判断を下す時に籠もる真っ暗な洞窟がある。そこで精霊の言葉を聞くのだという。
 判断を間違えば、クーデターが起きたり、自分が亡命する可能性がある。また、国民が死ぬ可能性も否定できないのだ。
 国家のトップはそういうギリギリの状況で鍛えられていく。それが故に気迫が顔に滲み出るのだ。

 でも、イスラム教国のインドネシアにあって、洞窟の中で最後は精霊の言葉に耳を傾けるというのは、おもしろいでしょ。それくらい、国家のトップとは精神的に追い詰められ、そのプレッシャーを受け入れ、跳ね返す者にしか、トップは務まらないのだ。
 これが世界なのだ。
 
 しかし、日本の政治家で、そこまでの顔をした人物はいない。

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2010年09月13日

ツバルの子どもたちへ

 11月にBSフジで放映する、私のツバル訪問記です。
番組の放映日時などは後日、ブログに掲載しますが、ツバルの感想を「Q A」でまとめたものが以下のものです。
 放送を乞うご期待ください。


Q/ツバルの10歳の少年少女たちと触れ合った率直な印象。

A/ 草木の芽のような、自然な子どもらしさを感じました。
 文明にさほど毒されていない環境がこうした感性を作りだしているのでしょう。
 子どもは無邪気で、大人は大人らしく振る舞う社会。
 ツバルでは、大人の知恵を子どもたちも必要としているのです。

 また、10歳とは、子どもと大人の「はざかい」でもあります。
 自我に目覚め、筋肉もつき始め、純粋に子どもとして扱われたくない、大人ぶりたい時期の始まりでもあるです。
 透けて見えるのは、思春期に一歩だけ足を踏み入れ、少しだけ揺れ始めた子どもの心です。
 10歳のティタくんと一緒にいて、久しぶりにこうした思春期初期の気持ちを思い出しました。


Q/日本の子どもたちと、ツバルの子どもたちの違い。

A/ツバルの小学生の場合、学校から帰るとすぐ友だちと外で遊びます。
 しかし島に遊び道具はほとんどありません。
 でも、海があります。それだけでなく、たとえば空のペットボトルをボール代わりにして友だちと投げあい、サッカーのようにも、鬼ごっこのようにもして遊びます。身の回りにある環境やあらゆるモノを使って遊ぶことが出来るのがツバルの子どもたちでした。
 子どもな「どんなものも遊びにしてしまう」のだと改めて、この島で感じることができました。
 日本の子どもたちには、ツバルの子どもたちのような「遊びの知恵」が残っているでしょうか? 
 答えは、「NO」かもしれません。
 用途別に器具や道具が揃う日本は、すべてのものが、ひとつの意味しか持たないのではないでしょうか?
 つまり、日本では遊びにおいても知恵を使う必要がないのです。

Q/自分の10歳の頃と比べ、彼らの生活環境に・・・・。

A/私の10歳の頃は、まだ日本も貧しく、ツバルの10歳の子どもたちと同じような生活をしていたように思います。
 たとえば日本でも私が幼い時代は、空き缶が、缶蹴りの道具になり、楽器になり、集めた虫たちを入れる缶になりました。
 そうした時代にあっては、素直にすべてのことに感動できた、驚くことができた、喜ぶことができたと感じるのです。

 ツバルの10歳の子どもたちを見ていると、そんな自分の子ども時代を思い出し、懐かしくなりました。
 私自身、男の子の中で遊ぶ中、悪ガキの少年時代にもどってしまったような錯覚を覚えました。
 

Q/子どもたちとの印象的なエピソード。

A/男同士の腕を組む挨拶を教えました。
 主人公になったティタ君は、最初こそ、はにかんでいましたが、次第に私に対しての信頼と友情が生まれたことを、組んだ腕の力強さで感じ取ることができました。
 
 短い時間ではあったけれども、まるで映画「Stand by me」のような甘酸っぱい出合いと別れが、彼との間にあったように思います。 


Q/彼らのために、私たちができることは何だと思うか?

A/友だちとして、大人として、先進国の日本人として、私は、モノに囲まれた生活なんて、すばらしい自然に囲まれた生活に比べたなら、大したものではないことを伝えたかったのです。

 ツバルにも今、大きな文明の波が押し寄せています。
 その良い所を「選択」して使うのはいい。
 しかし、その波に一方的に飲み込まれないで欲しい。
生きる中で、何が大切なのかを見失わないで欲しい。
 それを伝えることができるのは、バブルを経験しながらも、心の喪失感をぬぐい去ることができない日本の大人の役割だと思いました。
 


Q/この番組を通して、伝えたいメッセージ。

A/圧倒的な自然の素晴らしさ、その中で知恵を持って生きてきた人々の生活を見てください。
 その一方で、文明が押し寄せることで、そんなすばらしい自然が今、壊れようとしているのです。
 私たちは、私たちを生み出してくれた自然を今、「発展」の前に捨てようとしています。
 しかし発展した後、社会をふり返ってみると破壊されてしまった自然しか残っていなかったなら、発展とは何なのでしょう?
 
 この番組では映像からもう一度、私たちが「豊かさ」を求めて辿ってきた歩みをふり返ることができるはずです。



Q/この番組の「ここを見て欲しい!」。見所。  

A/珊瑚礁の海は抜けるように青いのです。
 日常的にその場所を、「お風呂」代わりに使っている人たちがいます。
 これ以上の豊かさはあるでしょうか?
 
 ツバルの生活を見ていると、日本が繁栄と引き替えに失ったものが見えてくるはずです。
 
 
posted by momoikazuma at 07:59 | TrackBack(0) | 記事

2010年09月03日

「バーダ−・マインホフ 理想の果てに」

9月3日

 2009年アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされていた映画「バーダ−・マインホフ 理想の果てに」を先ほど見終わった。
 日本では2009年7月に公開された事実を基にした映画だ。
 公開当時、日本でも高い評価を受けていたが、見る機会がなかったので、アマゾンでDVDを予約していたのである。

 買って良かったと素直に思える凄い作品だった。

 ストーリーは1967年、ベトナム戦争やアメリカに基地を貸すドイツ政府に対し、ドイツの若者が武力闘争をしかけ、次第に過激化して行くというもの。
 銀行強盗はやるし、爆弾テロ、ハイジャックと、当事者である「ドイツ赤軍」はシビリアンをも巻き込みながら急速に過激化してく。

 まったく当時の日本の状況(たとえば日本赤軍の過激化)と同じなのだ。
 
 私自身は、たとえばチェ・ゲバラの生き様には共感を覚える。
 また、ヒットラーの暗殺計画に荷担したドイツ人牧師ボンフェッファーに共感を覚える。
 二人に共通しているのは、強権・独裁化した権力に対し、武力闘争を覚悟したことだ。

 しかし、果たして二人の生き様は、本当に正しかったのか?
(ちなみにボンフェッファーの場合は、「正しくないこと、神から捨てられること」を覚悟でヒットラーの暗殺計画に加わった。そこまで考え抜いた結果だった)

 「暴力」は力だ。そして一度「力」の味を占めてしまうと、人間は力を使う状況に慣れ、次第にエスカレートしていく。

 「造反有理」を掲げた毛沢東にしてもしかり。
 造反するには理由がある。
 だが、一度「力」の味を知ってしまった者が、力を捨てることができるのか?
 
 その意味で、自分が殺されようが、身内が殺されようが、最後まで非暴力を貫き通したガンジーやキング牧師、それに今、非暴力の戦いを続けているダライ・ラマに宗教的な崇高さと、憧れを感じてしまうのだ。

 「ナイーブな善」がどのように狂気に蝕まれていくのかを描いたこの映画は必見!


posted by momoikazuma at 23:28 | TrackBack(0) | 記事

2010年09月02日

ツイッター開始

遅ればせながら、ツイッターを始めました。
名前は momoikazuma です。

こちらでは、考えていること、体験していることの第一次情報を送りたいと思います。
posted by momoikazuma at 14:33 | TrackBack(0) | 記事

2010年09月01日

国境なき医師団 CM バージョン1

ちなみに、去年のCMも私が撮影したものです。

そちらの映像は以下のサイトです。

http://www.youtube.com/watch?v=7URXUkny26Y
posted by momoikazuma at 11:16 | TrackBack(0) | 記事

国境なき医師団 CM

「国境なき医師団」のCMが以下のサイトにアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=WknhuVHyCXI&feature=related


 このCMは今年4月、ケニアで撮影したものです。
 撮影チームの士気も高く、また編集も腕の良い方々が力を発揮してくださいました。

 7月末からオンエアーされ、1年間の予定。

 撮影機材は、キヤノン EOS5D

 これからは写真家が動画も撮る時代なのですね。 
posted by momoikazuma at 11:14 | TrackBack(0) | 記事

2010年08月31日

インドネシア・マルク「宗教紛争」

 ある雑誌に書いた原稿です。
 先行公開します。

 インドネシア・マルク諸島で、キリスト教徒とイスラム教徒の激しい戦いが始まったのは1999年1月のことだ。マルク諸島の州都であるアンボン島は以降、激しい武力衝突の結果、「軍事境界線」となった道路を隔て、完全に二分された。キリスト教徒はイスラム教徒の土地に、イスラム教徒はキリスト教徒の土地に、一歩でも足を踏み入れることができなくなってしまったのだ。「軍事境界線」とその周辺からはすべての人影が消え、激しく焼け焦げた建物の残骸だけが残されたのである。
 私がこの島を訪れたのは2001年10月のことだ。ニューヨークWTCへの旅客機突入(9・11)に刺激されたのだろう。この時期、一時沈静化していたはずの「宗教紛争」は、再び激しさを取り戻していた。そのため、日暮れ以降、島では鳥や虫の鳴き声をかき消すように銃声が響き渡っていたのである。
「本当に不思議です。1999年に戦いが始まるまでは、イスラム教徒もキリスト教徒も隣り合って生活を続けていたのです」
 そう、口を開いたのは、キリスト教地区に住む中国系のインドネシア人だった。紛争以前の宗教分布図を見ると、確かに少しの偏りはあるものの、村でも街でも、基本的にふたつの異なる宗教を信じる人々は混じり合って生活を続けていた。
 しかし静かに問題が生まれていたのも事実だ。人口の急増が続いたインドネシアでは、1970年代〜90年代まで国内移住政策が強力に推し進められていた。そしてオランダによる植民地政策の影響でキリスト教徒が多く住んでいたマルク諸島にも、この時期、100万人のイスラム教徒が新しい移民となって押し寄せてきたのだ。
 その結果、かつてはキリスト教徒が多数を占めたアンボンも、ふたつの宗教人口が拮抗するようになっていたのである。
 単位面積あたりの人口圧が急激に増えた。それに伴い一人当たりの農作物の収穫量も減少。住民の中には、そのことによる不満がマグマのように溜まり続けていたのである。
 紛争はどのように始まったのか? それを記録した初期映像を現地で見る機会があった。映像の中で、火炎瓶やナタを手にした住人に混じり、軍服を纏い、銃器を持った男たちが扇動するように動き回っていた。素人の住人をリードしながら、プロの武力集団が紛争拡大を煽っていたのだ。
 当時、インドネシアの国政において、軍のプレゼンスが低下していた。「それを食い止めるために、軍が背後で動いていた可能性が高い」。そう現在では、専門家がマルク情勢を分析している。私が見た紛争初期の映像はそれを裏付けていたのである。
 日本には「火に油を注ぐ」という喩えがある。戦争史を分析してみると、民族や宗教、または「権力」(※1)など、一般的に「戦争の原因」とされる要因が、実は「油」であることがわかる。油は油だけでは発火しない。しかし明確な「火」がある場所に注ぎ込めば、火は一気に噴き上がり、多くの人々を焼け焦がすのである。そしてこの場合の「火」とは、土地、食料、資源など、人間の生存に関わる要素に他ならない。
 マルク諸島の場合、土地と食料減少に苦しんでいた住民を、プレゼンス誇示を狙った軍部が利用。作戦遂行過程で「油」として注がれたのが宗教だったのだ。
 だがその結果、どうなったのか?
 イスラム教徒側には、アルカイダに近い熱狂的な集団が外部から援軍義勇兵として、この島になだれ込んだ。一方キリスト教側では、「アガス・キッド」(※2)という名の暗殺部隊が暗躍して、イスラム教徒の殲滅を実行に移した。私はそのどちらにも取材の過程で会うことができた。恐ろしかったのは、どちらの集団も、個々人は透き通るように「きれいな」視線を持っていたこと。「正義」のために自らの命を捧げる覚悟が、澄みきった眼差しに表れていたのだ。
 だが紛争の場合、正義の裏にあるのは悪ではない。異なる正義があるだけなのだ。そして、「正しさ」の意味を熟考しない者は、簡単に、「民族」や「宗教」などを理由に武器を取ってしまうのだ。
 2002年2月、マルク諸島ではふたつの宗教の間で和平が成立した。
 だが紛争の3年間で避難民は50万人に達し、死者は5千人を超えた。
 
※1(「権力」を巡る争いが理由の場合、一般的に、それが強度を増して多くの人々を巻き込んで広がる可能性は低い。人々が生存を追い込まれるだけの「理由」にはならず、広範囲の紛争には発展しないからだ)
  
※2(インドネシア語で「小さな蚊」の意味。または「神が愛した教会の少年たち」のインドネシア語の頭文字)
posted by momoikazuma at 12:32 | TrackBack(0) | 記事